大阪市東住吉区に長居公園がある
戦後初期、当地に競馬場と競輪場が設置されていた
競馬場は別称を「大阪競馬場(長居競馬場)」といい、1948年に大阪府と大阪市などの市町村が中心となって設立し
戦災復興を目指して競馬(現在の地方競馬相当)の競走を開催していた
また競輪場は別称を「大阪中央競輪場」といい
1950年に大阪市営でオープンし
住之江公園競輪場や岸和田競輪場と並ぶ大阪府の競輪の主要会場として長らく使われた
大阪府は専用オートレース場を建設する案も進めていたが、費用が2億円を要する事がわかり断念し
長居競馬場の走路及びスタンド等を改修して併用使用することを決定した
ひとつの公園内に競馬、競輪、オートレースの誕生である
1951(昭26)年11月1日:長居オートレース場が開場される
大阪中央競馬場の売上は1日平均で2、300万円
従って、長居オートレースの売上はその半分とみて1、000万円は固いと見込み大いに期待された
しかし結果は予想外
6日間の平均売上は350万円、入場者は3200人であった
関係者はその体制の立て直しを図り翌年1月及び4月に開催したが初回と同様の結果で終わった
当時の国産オートバイの性能不良も要因のひとつで車券の売上は不振
(乗用車でさえすぐにエンストをおこす状況でエンスト失格というのはザラにあった)
折から、隣接する小学校PTAから轟音の為、朝礼も授業もまともに出来ないとして
オートレース反対運動が起こった
そのため大阪市当局も廃止するの止む無きに至った
1952(昭27)年4月6日:長居オートレース場が廃止となる
わずか3開催での休止である
大阪府大阪市東住吉区長居公園
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